木村緯歩子が若草保育園の園長時に執筆したものです。
暑さ、寒さも彼岸まで・・・・とよく言われますが、その彼岸が過ぎても、日中は暑さが続き、いつになったら秋がくるのかしら? と思っていましたが、10月に入った途端、急に秋らしいお天気になり、澄んだ青空が広がる気持ちのよい季節になりました。
ふと漂ってくる金木犀の香りが、いっそう秋を感じさせてくれるこの頃です。
ようやく、スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋、食欲の秋、を満喫できる時ですね。
先日、新聞を読んでいたところ、“13歳少女「私から撃ってほかの子は解放を」 ” という見出しに、思わず目が釘づけになりました。
その記事の内容は下記のようなものでした。
ロイター通信によりますと、「アーミッシュ射殺事件」。10月2日、アメリカ東部ペンシルバニア州ランカスター郡にあるキリスト教の一派アーミッシュの小学校で、女子児童ら5人が、近くに住む32歳の運転手の男に射殺されたという事件が起きました。
その時、13歳のマリアンさんが、年下の仲間を救おうと、「私を最初に撃って、他の子たちは解放して」と訴えていたことが解かったそうです。しかし、結局は6〜13歳の女児たち5人は射殺され、犯行直後に犯人も自殺、そして、犯人の動機はいまだ、不明のようです。
人間は、死を目前にしたとき、この少女のように、自分から撃って・・・という、勇敢な言葉が出るものなのだろうか? こういう言葉が自然に出るのだとしたら、彼女はどういう育ち方をしたのだろうか? 世界には、宗教戦争がいまだに続いている国があるわけで、やはり、宗教的な後ろ盾がある社会は、なにか強い信念のようなものが、あるのだろうか?
いやいや、宗教や国の問題ではなく、一人の人間としてどのように考え、どのように行動するか、ということではないか? もし、自分だったら、どうだろうか?
13歳といえば、日本では中学1年生の時代・・・などなど、この記事を読みながら、私はとっさに、いろいろなことを考えていました。
その記事の同じ見開きのページには、“いじめで中1「抑うつ」”という見出しがありました。
奈良県の中学1年生の男子が、入学直後から約5ヶ月間、クラスの半数以上の同級生から、「気持ち悪い」「臭い」「不登校になれ」「死ね」など、携帯メールで中傷されるなどの陰湿ないじめに遭ったり、石を投げられたこともあり、抑うつ状態になったとして、両親が警察に届けを出したという記事の内容でした。学校側は、5月にいじめを把握しながら、有効な対策をとれず、男子生徒は9月下旬から不登校になっているということでした。
偶然にも事件の当事者は、同じ13歳という年齢の子ども達なのですがその事件の内容、次元の違いに憤りを覚えながらも、しかし、どちらの記事にも、やりきれなさと、胸が痛む思いを抱きました。
もちろん、アメリカの子ども達がすべて、勇敢な子ども達ではないと思います。むしろ、「私から撃って・・・」と言う子どものほうが、ごくまれな事だろうと思います。日本の子ども達の中にも、勇敢な子ども達はきっといると思います。しかし、どちらかというと、今、日本では、子供社会の問題点として、いじめの問題がやはり、大きくクローズアップされています。
いじめる側の論理、いじめられる側の論理、その両者の言い分を聞きますと、片方だけを正当化できない、複雑な人間の深層心理があるように思います。
いじめは、子供社会ばかりではなく、大人の社会にもあります。しかし、なぜ、子供社会のいじめの問題が、大人社会以上に表面化されてしまうのかを考えますと、子供が純粋であるがゆえに、いじめる側も、いじめられる側も、互いにごまかす術がなく、その純粋さが逆に、大人以上に残酷な結果をもたらす要因になっているのではないかと思います。
私も、この夏、子供社会がもつ残酷な場面に出合いました。
7月のある日曜日でした。私が居住している地区では、海開きもかねて、「いかだまつり」というイベントがあります。そして、このイベントの日には、その地区の小学生達が、子ども会単位で集まり、いかだを作り、そのいかだを海に浮かべて、レースを行い楽しみます。私がボランテイアとしてお手伝いしている少年教室の団体も毎年参加しています。
そのいかだまつり、当日のことでした。
いかだレースは、15試合ほどあるので、子ども達は、5〜6人のまとまりを作り、いくつかのグループに分かれました。いかだに乗れる人数は4人と決まっていましたから、5〜6人のグループ内でいかだに乗るメンバーを決めなければなりません。だれがいかだにのるかは、そのグループの中で、話し合ってきめるように、リーダー(5,6年生)に、まかせました。
私は、たまたまあるグループの近くにいましたので、そのグループの一部始終を知る事になるのですが・・・・・・
リーダーの女子が「決まったー!」と報告に来ました。「もう、決まったの? ちゃんと相談した?」と尋ねたところ、「大丈夫、大丈夫! ○○(男子の名前)なんて、どうせ私達のいいなりだから!」と、女子は涼しい顔でした。私は大丈夫かな?と一抹の不安は感じましたが、今の子ども達はこんなものかな・・・と、そのままにしました。
よそのグループのいかだ乗りのメンバーも決まり、いよいよレースが始まりました。私は、いかだに乗り込む子ども達のライフジャケットの装着の手伝いに大忙しだったのですが、そのいくつかのレースが終了していく中で、ある親子の会話が耳に入りました。
「お前は、いつになったらいかだに乗るんだ?」と父親らしい人の声。
「いいよ!」 と、少しすねたような男子の声。ほとんどの子が1回はいかだの乗船を体験したであろうはずのところ、その男子はまだ、1度もいかだに乗っていなかったのです。その男子は、先程、4人乗りの順番をいち早く決めたグループの「○○」君だったのです。私は、とっさに先ほどの女子たちの「大丈夫、大丈夫、○○なんて、どうせ私達の言いなりだから!」という会話が脳裏に浮かびました。
私は、「次のレースは○○君も乗れるように、戻ってきた人からライフジャケットをもらいなさいね!」と、すぐに助け舟をだしました。そして、いかだが戻り、レースが終わった子ども達と次のレースに出る子ども達が、ライフジャケットの貸し借りで、砂浜は大騒ぎです。
他の子供の世話をやきながら、○○君のグループを気にかけていたのですが、時すでに遅く、またしても○○君は、ライフジャケットを手にすることなく再び見学席に立っていました。
隣の○○君の父親の顔は、もう、半分怒っていました。それは、「しっかり子ども達に順番を守らせてほしい!」という、私達世話役の大人に向けての怒りの表情なのか・・・・それとも自分の息子に向けての怒りなのか・・・・・いえ、おそらく両方に向けての怒りだったのだと思います。
私は、もう一度 「○○君、いかだを海へ押し出した人が、次はライフジャケットをもらえるから、○○君いかだを押しておいで!」と声をかけました。○○君は、「もう、いいよ!」と気弱く言ったのですが、彼の父親が、次は必ず乗れるという保証を感じたようで、「行ってこい!」と背中を押しました。その父親の励ましで○○君も気を取り直し、「うん!」と嬉しそうに返事をして、「こんどこそ、いかだに乗れる」という期待感がいっぱいの表情で、海の方へ走っていきました。その表情はいかにも少年らしい、いい顔でした。私も、次は絶対に乗って欲しいと願っていたのですが・・・・・・
ところが・・・・ところが・・・・・
またしても、彼の手にライフジャケットは渡されませんでした。
見学席に戻った○○君に向かって、父親の気色ばんだ声が聞こえました。
「なぜ、お前は乗らないんだ!」 父親の手には、しっかりビデオカメラがしっかりと握られていました。
その姿から、○○君は、きっと普段はおとなしい男の子なのだろう、そんな○○君が、いかだに乗るところをカメラに収めようと、御両親揃って見に来たのだろう、そして、○○君がいかだで海に乗り出すところを今か今かと待ち構えている・・・・・ということが一目瞭然で、わかりました。
普段とは違う息子の姿をどんなにか楽しみにしていたであろうお父さんの気持ちが、痛いほどわかりました。子供を思う親の気持ちが、よーくわかりました。
私は、これはあきらかに、偶然のことではないと感じましたので、「まだ乗っていない人がいるんだから、その人にライフジャケットを渡しなさい!」と注意をして、グループの子ども達に○○君のところにライフジャケットを持っていかせました。が、今度は、○○君が意地を張ってしまい、そのライフジャケットを受け取りません。私達世話役も、○○君にライフジャケットを何度も勧めたのですが、彼は頑として受け付けません。そして、彼の父親は、とうとう完全に腹をたて、「どうしてお前はいつもそうなんだ!」と言い残し、ビデオカメラを持って立ち去ってしまいました。その場に残った○○君は、泣くのを必死でこらえている風でした。そばにいた母親は、再度○○君を説得していましたが、彼は黙って下を向いているだけです。父親と息子の間に入って、母親はうろたえるだけで、最後には、私達世話役に「すみません。ご迷惑をおかけしまして・・・」と言って、涙ぐんで帰っていかれました。
○○君の家族は、今夜の食卓でどんな会話が交わされるのでしょう?
それを思うと、なんともいえない思いでした。
このような事態になってしまった張本人の女子達も、軽い気持ちからの仲間はずれだったのでしょう。いえ、彼女たちにしてみれば、○○君を仲間はずれにしたという意識はなかったのです。それよりも、いかだに乗るという楽しみを独り占めにしたかった、こんな楽しいことは人には譲れないという、いわゆる自分中心の考え、いつも自分の思い通りになっているという、甘えん坊のわがままが先行してしまったにすぎなかったのです。
この日のできごとは、その場にいた人たちに、いろいろな事を教えてくれたように思います。
リーダーの女子達には、自分のことだけではないこと、友達の事、グループの仲間を思う事の大切さを知らなくてはいけません。○○君も、自分からライフジャケットを取りにいく強さを持たなくてはなりません。お父さんにしても、親の気持ちの前に、自分の思いを表現できない息子さんの弱い思いに寄り添ってあげるべきではなかったか・・・・・などなど・・・・
そして、私達こそ、本当に申し訳なかったと思うのです。たとえボランテイアとはいえ、大人として、子ども達に仲間との正しい関わり方をしっかり導かなければいけなかった。
子供達の健全な成長を考える時、子供達と関わるすべての大人が、気持ちを一つにして、何が正しくて、何が悪い事なのか、をしっかり伝えていくことが必要なのだと思います。他人への思いやりの心、人の役に立つ事のすばらしさなど、大人が手本を示して伝えることが必要なのです。子どもと大人とのそういうかかわりの積み重ねが、あの13歳少女の「私から撃って・・・・」という勇敢な言葉につながるのではないでしょうか。
そして、更に、最も大事なことは、子ども達に、「私から撃って・・・」などと言わせないような社会、世界にすることこそが、現代社会の最大の課題なのだと思います。
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